再会

 30歳になったかどうかの頃、勤めていた会社の多角化の一環で子会社を設立し、立ち上げた会社へ出向した。株式会社を設立するなんて全く知識がない状況の中で、設立後に社長となる当時の部長から「司法書士さんだよ」と名刺を渡され、「分からないことがあったらこの人に聞くといいよ」と言われて、気が付いたら何とか会社が立ち上がっていた。よ~く思い返してみたら、20歳の時にアルバイト気分で就職した会社の社長に「原宿にお店をオープンするから」と言われ、まともにアルバイトをしたこともない小僧が、気が付くと1950年代のハリウッド映画のキャラクターズショップを立ち上げていた。私の人生はそんな感じなのだ。

 その30歳くらいの時に分社化して立ち上げた会社で、総合企画室の室長としていろんなことをやらされた、いや、させていただいた。「うぶちゃん、新卒を採用しようよ」と社長に言われ、親会社の就職説明会の見学に行き、見よう見まねで説明会を開催。無事に1名の新卒を採用した。とにかく明るい女性社員だ。採用の決め手は「なんとなくピンときた」である。彼女はとにかく唄が上手くてドリカムを唄わせたら最高なのである。吉田美和より吉田美和なのである。出張で秋田県の田舎道をレンタカーを借りて爆走中、大口を開けて「うれしい!たのしい!大好き!」をアカペラで唄う彼女の口に、トンボが飛び込んできた時のことは、今でも鮮明に覚えている。

 そんな彼女とはもう四半世紀以上会っていない。たまに「どうしてるのか」と思い出すことはあっても、連絡をする術もない。彼女が結婚する時、仲間だけで結婚式をしたのだが、私は神父さん役だった。にも拘わらず連絡先すら知らないなんて。私にとっては記念すべき採用第一号なのに。

 昨年の夏、見知らぬ方からメールを頂いた。旧姓だったから気が付くのが遅れたが、あの吉田美和より吉田美和からのメールだった。あの会社を退職してから音信不通になっていた私を探してくれていたとのこと。当然のことながら再会の約束をし、四半世紀ぶりに再会した。変わっていなかった。相変わらず大きな口だった。本当に楽しそうに笑う彼女がいた。お互いの状況を楽しく語り合っていたのだが、雲行きが怪しくなってきた。細かなことは省略するしかないが、彼女が過ごしたこの四半世紀の人生は、想像を絶する苦難の連続だった。かける言葉も見つからぬまま、また近いうちに会おうと約束をして別れた。心が重かった。次会う時はどんな顔をして会おうかと思い悩む間に半年が過ぎてしまった。今度会う時は気の利いた言葉をかけるよりも、一緒にドリカムを熱唱した方が彼女は喜んでくれそうな気がする。そろそろ、お誘いのメールでもしてみようか。

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